歩く走る

 

対抗意識から走りはじめたのですが…… - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

体を鍛える事は大切だなあと思うのですが、毎日忙しいので今は無理です。

父は毎日食後に2時間歩くのが日課で、(これにもいろいろとややこしい事があったようですが)何十年も続けていました。40歳過ぎたあたりではジョギングブームで走っていたようですが、50歳ごろから歩くようになったみたいです。高校時代に京都の全国大会駅伝にも出た兄も今は走っているようで、この前久しぶりに会ったら細くなっていました。ホノルルマラソンに出る(たぶん口だけ)と頑張っているようです。

昔の有名選手が太って全く面影なしというのも良く見ますが、地道にでもこのように体型を維持して走り続ける人の方が老けないなと思います。

わたしも頑張ろう。(できることで)

 

実家でみつけた写真。今となってはどれがだれだかわからないが。

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ピラニア

言われっぱなしの気弱な娘 - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

中学のテニス部の顧問は山田という女性でピラニアというあだ名だった。保健体育の担当で短大卒だと思う。でも採用試験に受かったのだから頭は良いのだろう。

私も下手でダブルスはびりから2番目、(最下位ランクのダブルスも居たのだが)でも試合をするとまぐれで勝つ事もあり、動体視力がなくボールを見てないのと、(勘で打っていた)それら全般的な基本の基本が出来ていないのがダメだったのだろうと思われる。(水泳やランニングは悪くない)スポーツ万能の兄と比較されるため、同じ高校へ進学せずSという足を引っ張る子の陰湿な企みによる説得もあり、(毎日放課後2時間ぐらい手に職を付ける必要性を私に説いたが、自分はM西という実業高校卒業後病院の見習いを2か月で辞めて結婚した)少しだけ偏差値の高い遠い学校へ進学した。(入試の成績は全校で15番だったと担任に言われた)、受験前には問題集をおさらいしたぐらいで大したとして無いのだから。(大失敗だった)もっと上を目指す根性が無かったな、だったら南の進学校にも行けたはずなのだからなあ。

このピラニアに陰口を言われ、あいつは辞めるだろう、放っておけ、と言っていたよと例のケンタッキーフライドチキン事件のKちゃんがわざわざ私に言う。

お昼に家にもどって部活へ戻る予定だったのだがお母さんが作ってくれたカレーが食べられなかった。ショックを受けたのだ。

今でも下手な奴か。と覚えているらしいが、スーパーマーケットへ入る時に車で正面から対面した時にも絶対に下がらずに私が下がるまで攻めてきた。性格が悪いのだろう。ピラニアは中之郷という地域からの人らしい。

雑談でもろくな事を言われなかった。保健室に行って頭痛がすると言うと、帰れ。と一言。大丈夫かとかそういう会話は一切なし。私の胸が大きいのを見て、お前が大学に入る事には垂れてくるだろう。と予言した。デリカシーが無いのだ。しかし他人には厳しい。副校長先生がテニス部の女子のアンダーパンツを紺色のブルマではなくピンクのアンダーパンツにすればどうかと提案したら陰でスケベじじいと罵っていた。何となくこのエピソードでは地方の公務員の閉塞的な感じが伝わる。タイトスカートとポロシャツとピンヒールのつっかけという妙な格好で、色気もなにもない、生涯独身のきつい人という感じだった。

音楽部は嫌いな木〇や国〇が居たので入る気は無かった。帰宅部にすればよかった。

 

 

釜揚げうどんの思い出

讃岐うどんブームの立役者かと - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

高松の釜揚げうどんは両親に連れられて良く行きました。お湯のなかのうどんをつけ汁につけて食べるのですが薬味がネギと生姜、そしてうずらの生卵だったのを覚えています。子供はケーキやらハンバーガーやら、そういうものが好きなので仕方なく食べさせられたような記憶しかありませんが美味しい味というのはそのようにして覚えるのだろうな。うどんについてはやはり美味しいものはわかるような気がします。日本の中にはうどんの名産地がいくつかあり、それぞれ美味しいのですがこのように香川のうどんを味わって成長したのでやっぱりうどんは香川、と私も主張します。

物色する暇がない

Goodwillでの「めっけもの」 - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

Goodwill、子供服の寄付で良く利用します。買う事は滅多にありません。たまに学校の帰りに立ち寄った時も、ウェイトレスのバイトに応募しようと黒のポロシャツを買ったぐらいです。私が見たGoodwillは地域性もありろくなものが無かったと思います。服も流行おくれだし、第一不愉快になってしまうのでどうしようもありません。時々賢く節約しようと買ったものも着ることが無く結局また寄付に回し、運営には貢献しています。目が無いのでしょうか。私にとってはまだターゲットなどのクリアランスで安かろう悪かろうの新品を買って着る方が良いという感覚です。どうしてもこれだけは譲れません。

靴もTJmaxxやマーシャルズなどディスカウントショップで調達しますが、安心して着られるものはやっぱり普通の店で買ったものです。たとえそれがGAPやJ Crewなどモールのセール品であったとしても安心して着られます。センスが無いからでしょうね。もっと余裕があればここの服が買いたい!というのはもちろんあります。

ただ引っ越しが多いしまだ家も買っていないので、家具はちょこちょこ物色していますがなかなか良いものはソールドアウトのタグが付いています。古い学校からもらった一枚板のテーブルをダイニングに置いていた人が居たけどそのようなものが手に入らないかなと思っています。

 

 

少年の知恵

新たな「ドーナツの穴」情報 - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

早くドーナツを揚げるために係りの少年が穴をあけたと聞きました。でもネーミングが解決しませんね。今見るといろんな説がありすぎで。ドーナツはイーストを入れて発酵させてから揚げるんですが、やっぱりお店のが美味しいなと思います。

ミスドのフレンチクルーラーが懐かしいですね。

 

General anaesthesia

初めての入院と手術にドキドキ - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

手術はジェネラルアナスタシア(全身麻酔)で行いました。朝3時に病院へ行って受付を済ませ、手術室へ入ると当日の手術患者が5~6人、手術用のベッドで着替えて血圧計などを装着して待機します。看護師何名かが手に点滴チューブを刺し、計測や問診を最終的に行います。そのようにしながら担当医師が到着したのは7時30分ごろでしょうか。8時から手術が始まる為、45分ごろに麻酔の点滴を開始してから意識が戻ったのは11時ごろ、呼ばれて目覚めました。そっくり意識が無く体内の時間もぽっかり穴が空いています。首から背中に掛けての筋肉が硬直しています。おそらく痛みに耐えるために体に力を入れたのだと思いました。恐ろしいまでの痛みだと筋肉痛から想像できます。当然不愉快な感覚が一週間以上続きました。首は今でも痛痒く時々手で掻いてしまいます。ストレッチャーで個人部屋に移されて夕方になるまでは起きられず、夕方からは自力でトイレにも行きました。食事もとって良かったらしいのですが、断りました。(お腹がすいたと言ってジェリーをもらって食べましたが)朝も6時前から体温計測など次々と人が現れます。すべて違う担当、違う人、そして若い人が多かったのですが、病院というのは大変なシステムなんだなあと感じました。

午前中病院内を点滴の台と一緒に歩き回る訓練をフィジカルセラピーから受けました。そして書類を貰って退院しました。

手術中に装着されたネックカラー(むち打ちの人が首に着けているコルセット)をつけたまま処方箋薬の協力な痛み止めを買いに薬局へ寄り、家に着いて横になっていました。木曜日手術、金曜日退院、(ボスは金曜の午後から来れるかと言った)土曜日と日曜日は休養して月曜日から出社しました。ネックカラーを付けているとスーパーマーケットなどでいろいろ聞かれます。ラティーノ社会は親切で親しみやすい人が多かったと思います。

入院中はずっと点滴を絶やさないので、体内の水の循環が良くなり、家に帰ったら体が軽く感じました。こりや疲れが水の流れによって無くなるのです。不思議に思いましたが道理にかなっています。日頃の疲れは疲労物質の蓄積なんだなあと思います。

水や水難などという概念は腎臓や循環なども含むのかも知れないなと思いました。私は水と相性が良いので今砂漠に暮らしていても落ち着きません。

手術前には死ぬかもしれないなと思いました。でもあまりその頃には生に執着は薄かったようです。麻酔担当者はとても優しく眠りに導入します。そのようにして再び起きる事が無かったらそれは全然苦しくない死ですね。

どのような死に方をするのか選べるのなら身内が無い人は安楽死を選ぶと思います。

実はアメリカに来てから出産と子供の検診や病気で病院にはしばしばお世話になっています。病院か学校で働きたいと思った位です。今の職を見つけるまでには何度か病院と学校に応募していますが、(自分の能力の範囲内で)面接にもこぎつけた事がありません。朝早くて午後には自由なので、子育て中の身には大変魅力的なシフトなのです。事務系といえばアドミンかアカウンティングです。ショップやカフェテリアでも経験があれば応募可能ですが経験はありません。また、ナースの補助や病室の備品をチェックしたりごみを担当する人は簡単な仕事とはいえ新参者には与えられません。事務系も英語能力が大変重要になります。でも採用されるとベネフィットも良いし、自分が病気になっても割引がありますよね。学校の単位を取るのも割引がある。子供が進学する時にも割引がある。といろいろ考えるわけです。取らぬ狸の皮算用です。そういいながらこつこつと今の仕事をしていても会計関係のブログ記事を書いて報酬を得ることが出来ました。出来る事とやりたい事との差を少しでも埋めて行きたい、これだけが今後の課題です。

 

 

 

 

 

チタンが体に入っている

チタンが私に合っている - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

日産のピックアップトラックが高速で追い越しを掛けてきた時に私はウィンカーを出して左に曲がってオフィスビルの駐車場へ入ろうとしていました。片側一車線ずつの対向車線道路だったので、相手側の無謀な追い越しが事故の原因です。私が乗っていた中古のホンダ2007年の運転席後部ドアに突っ込まれ、車体後ろ半分は大きく右にぶれ、腰の真ん中に痛みが走りました。ガラスはめちゃくちゃに砕け落ちていました。時刻は8時27分です。911に電話を掛けましたがけが人は居ないと答えてしまったため、警察が来るのが大幅に遅れ、おおかた9時ごろまで待ちました。(おおかた、の使用で秋田出身の人に笑われた事があります、本はあまり読まないと見ました)

ようやく到着した小柄なポリスはピックアップトラックの叔父さんとスペイン語で話し合っていました。アメリカはいつも警官は一人で行動します。

相手は70歳に近い近所のヒスパニック系の人で、おそらくそこは庭のように慣れた道でしょう。あんなところで曲がる人間とは滅多に遭遇しなかったのだろうと思います。あの時もおそらくずいぶん後ろから見通しが良かったので対向車線を走っていたのでしょう。ルームミラーには何も映っていませんでしたから。

ラティーノ社会は皆ファミリーです。学校の子供の友達にも親戚がいたのだろうと思います。ただ、担任の先生も同じ事故と手術の経験者だったので救われました。(転校していく時に初めて詳しく教えてくれたんですが)それほどコミュニティーが密なのだと想像できます。相手のハポネ(そこまで認識していないと思います、当然チーノ)が当然悪い、運転が下手なとろいおばさんだとでも言っているんでしょう。だからといってぶつけた方が悪くないという理屈にもならないとは思いますが。友好的なママ友は映画を観に行く時にも先導して車を運転してくれました。他の人も車線変更を何回かして私が必ずウィンカーを出す癖の持ち主であることを見届けていました。だからと言ってだれも弁護はしてくれませんでしたが。

話は事故当日に戻ります、そのあとポリスレポートをいい加減に作成したものを渡され、私は自動車保険に電話をかけ、レンタカー会社と連絡をとり、トウイング会社ともアポイントをとりました。午後1時ごろに車は修理工場へ運び去られました。

腰も衝撃が大きかったし(体の中心部がねじれた感があった)首のあたりが少し変だったのですが(右に振り返れない)私が入院したり病院へ通うためには職場を休む必要があります。オーナーも全く気前のよい人物ではなかった事、ワーキングステイタスも日本で言う支払調書の身分だけで済まされ、源泉徴収税を負担してくれなかったこと、陰で悪く言われて馬鹿にされている事も感じ取っていたこと、そして気が張っていたこともあり、大丈夫、仕事には来られます(代わりの人を雇われると困る)と、かなりの無理をしてしまったのですが、今になって思えばわがままと取られるような事でも大事をとって翌日にでも調べておけばよかったと思います。

その少し前、ガベージトラックに突っ込まれた日本人は頭の怪我で死にかけていたのにも拘わらず、大丈夫ですと答えたそうです。皆同じ事を考えているのですね。生活を回す事。アメリカで何の保障も無く働くという事はこの様なリスクを抱えています。

ポリスレポートが不完全なので事故専門の弁護士から連絡があって、こちらも体調が良くないのでそのとおりに言ったところ保険会社に掛けている傷害の分が適用されると思うのでとにかく体を調べるように言われました。

そしてカイロに行き、首の骨と神経が当たっていてしびれが来ていた頃、神経外科医を紹介されて手術の話になりました。体に傷をつける、ましてや首なんて、と拒否してフィジカルセラピーで直そうとしましたが、フルタイムワークに加え子供の送り迎えや世話で病院へゆっくりと行ける時間もとれず、予約をキャンセルしたり、とにかく真面目に治療できるような環境には無かった事から軽いしびれも慢性的に悪化、その間に気管支炎も患って体調は厳しくなりました。子供をキャンプに連れていったりしてますますこじらせたことも原因だろうと思われます。頭が大きいのに首が細いので骨がずれた事は容易に想像できます(普段から首が凝りやすい)

一日入院して首にチタン(タイタニウム)を入れる(正確には首の骨にワイヤーを絡ませて補強する)手術でした。X-rayでも確認しました。

実はあまりにもポリスレポートもいい加減で、私が悪い事になっていたので弁護士が訴訟にも持ち込めると言いました。車線が片側2車線ずつの合計4車線道路で私が右側から割り込んだように言われていたのです。現場検証もしないので仕方がありませんが。スペイン語で言い返せないのでマイアミには住むべきでは無いのかも知れませんが、ジャマイカは英語ですのでそうとも言い切れないものがあるのです。すべて運と身内がいるかいないかで変わってくるようです。訴訟になったら解決するまで4年かかる、それまでにコートに出席したりしなければならず、しょっちゅう嫌な事を考えなければならない。もういいです、と日本人らしく安易な解決を選びました。

別の人の話ですが、他州でレイプされて相手を訴え、多額の現金を手にした人に対しても傷の深さより金額を手にした羨ましさが勝つようです。レイプだったのか、合意だったんじゃないか、と好き勝手に下世話な事を言いふらします。心の傷も訴えて、それでも仮病だと決めつけるのです。騙されたくないから?でしょうね。

私の場合は病院代と差し引けば引っ越し代が浮いたぐらいです。命からがら逃げだしたという表現がぴったりです。本来ならば貯金すべきなのですが、環境があまりにも不利です。こちらも日本人は多いのですが冷たく、あまり変わりが無いようですが。

もっとも私がこのように切々と暗く訴えても受け取る側は笑うだけでしょうけど。命があるんだもの良かったね、という具合です。

人は自分が思ったようにしか言いません。欲の深い人程そういうストーリーが頭から離れる事はありません。人の痛みにさえ気が回らないのです。手術の翌週に無理をして出社して(書置きによる言いつけで)掃除を指示するなど、こちらで仕事を一緒にした日本人は想像を超えるようなきつさを持った人が多いように思います。本人はこれぐらいでなければアメリカでやっていけないと勝手に思っているらしいですが、そうではない人の方が多いように思います。

人の痛みに対してこうも無神経だと、心の中で見切りをつけるラインが出来るのです。こんなひとだ、と。自分の心を守る為とはいえ不思議ですね。

無慈悲な人、Ruthlessという短編を読みましたがそんな性格はいるようです。ある人もMeanと言う表現を使っていました。

人の子供の事は何も言った事はありません。正直いってハーフだから可愛いとか羨ましいと思った事もありません。この親だからこんな子だというのは当然だし(ステップでない限り)皆子供というのはか弱い存在で可愛いものです。何人であろうと子供らしさなどを見ればほほえましく感じます。親が嫌いだとしても子供には関係ありません。アジア人は見慣れているので可愛いとは思えないのでしょうが、それにしても子供だから可愛がって然るべきだとは思っていませんが、ひどい言われ方をしているのがとても気になります、人として。このような大人の心無い言葉が子供をゆがませるのではないでしょうか。日本人のなかには親としてこのような人が多いという事がとても気になりました。

毎日を回す事で精一杯というのはあちら側も同じなのかも知れません。そのようなぎりぎりの環境に身を置かざるを得ない私も笑われています。(結婚相手が悪いのでこうなっていますしこの先改善の余地はありません。はっきりいって年の差がありすぎです。最初は騙されて4歳上だと思っていたのです。普通は相手にしません。健全な生活を望むなら)

父の骨を拾った時には本当に骨のかけらしかありませんでした。私もきっとあのようになるのでチタンが燃えて残っていてもごみとして処理されるだけでしょうね。

仏教では大切なのど仏なども、もしアメリカで死んだらだれも拾わず、埋められるだけでしょうね。日本で死んでも誰も見てくれないので同じ事ですが。

 

一文一文をもっと練って綺麗に書き直す予定ですべては下書きです。

状況説明のみに徹しておりますが、今思い返しても弁護士は恩人です。地獄に仏(たぶんクリスチャンでしょうけど)とはこの事です。