矯正歯科と今日このごろ

子供の歯の見積もりが出来た。保険会社はカバーするというが、その金額は微々たるものだった。やはり。5000ドル位の治療費に対して600ドル位のカバー。

よく見るとApprovedという文字は患者が払うこと、という紛らわしい書類・・・とにかく、親は払うよ。これから大変だなあ。

日本にいた頃には財布から出すお金が1000円でも高いと感じた。皆が気軽に病院へ行けるので安心して暮らせる。ただ、歯の矯正は保険が効かない。また、虫歯の充填も保険が効く銀だ。これはこちらの国ではチェックアップの度に指摘される。詰め物が取れたと訪れても簡単な処置さえしてくれない。こんな治療方法知らないよとばかりに白いセラミックで根本的にやり直すように言われる。これはこちらで教育とトレーニングを受けた先進技術の歯科医での話だ。歯の治療技術が比較的遅い国で教育とトレーニングを受けた歯科医師が営業しているところだと直してくれるが、クオリティはそれなりにニーズにマッチしている。とにかくこちらでは本当に歯は大切なのだ。

サイドビジネスで密にやっているライターだが、写真とペンネームで記事を書けますかと打診されたので、美容室に行った。写真の件はお流れになったけど念のために撮影しておこう。いつ死ぬかもしれないし、遺影にもなるよなあ・・本当に東京で有名美容室に行ったようなクオリティだった。やはり混んでいるようで、なかなか予約が取れないらしい。私はこれまでアメリカの美容院ではコミュニケーション不足と相手の技術がアジア人に向いてなかったことでろくな目にあってこなかった。髪の量が多い、とエクストラチャージされたり・・こちらの美容師ライセンスの取得は日本とは違って簡単だ。半年位だったか(私もライセンスが取れるか調べたことがあるのだ)日本では2年かけてみっちり技術を取得する。シャンプーマンから始まってカットが出来るようになるまでにも時間を要する。また相性もあり、自分の望みどおりにはならないこともある。とにかく、今回の美容師さんはすごい人だなあと思った。

若い頃は今より髪も肌も綺麗だったはずなんだけど、コスメやヘアケアに熱心だったなあ。エビアン水のスプレーなんかを買って顔にかけてみたり(今思えば無駄遣いにもほどがある)皆がそうだったように記憶している。仕事が終わったらソニプラで化粧小物を見て時間が過ぎる。7時や8時までぶらぶらして考えごとをする。公園を歩いたり好きな場所に行ったり。自由だったような監視されていたような、割と不自由で思い通りには動けなかった。これは今でも同じ。わかるんですよ。

これからはもっとインカムを増やして節約して、身だしなみもきちんとしたいですね。

 

相手に覚(さと)られないように見る方法

背中に目をつけている人、千里眼の人を知っている。後ろを向いて観察したり、カウンターで仕事をしながら遠くに離れた客が置いたチップの額までさりげなく見る技を持っている。顔もむけず、凝視もしない。わたしには到底出来ない技だ。

逆に見てないのに見られた、と言われてしまう事は多いがたぶんこれはくせなのだろう。観察しているわけではないけど、ひょっとすると相手の反応を声掛けせずに待っているのかもしれない。無意識に。不愉快だったのなら失礼いたしました、と詫びておこう。悪気は無いのだけど。どれだけ自分の存在が他人に立ち入ることを恐れているのかな。なんでこんなに控えめすぎるのだろう。まだ幽霊でもないのに。

背中で人を観察するにはどのようなテクニックがあるのだろうか。鏡を持っていて映すのならバレバレだがそうではない。気配で察知するとしても細かい動作は見られないだろう。

私がされたので良くわかるのだ。

 

 

 

人生の岐路のいくつか

沢山ある。インテリアコーディネーターの資格を取って、東急アメニックス(東急電鉄系列)に採用された。(3次面接まであった)勤務する前に辞退してしまった。当時働いていたTMJは若い人ばかりのコールセンターで、全く関係ない雑談だったら自分でも不愉快には感じず、そういうことは勘でわかるが、そうではなかった。理由がつけられない不愉快さで、私のことではないと思いたいが、きこえよがしによく笑われたりわざと意味のある嫌味な単語を耳に入れていた。そこで私が内定している事は誰にも言ってないんだけど、もちろん過去に面識もない彼らから、彼らの背後のある人物の指令を受けて、冷笑されているのがわかった。そんなことが第六感に影響したのと、勤務先が八王子駅からバスで30分ぐらいの山中のぽつんと建っている営業所だった。残業あり、水曜定休、月給20万。今思えばなぜ辞退したのだろうと思うが、これがこの先の人生で好転するように頑張りたい。昔銀行の子会社で都銀の事務センターに勤務していたころ、仲良くしていた行員が友人の元同僚の行員、今は引越業を起業している男性を紹介された。都内勤務だったのに千葉のへき地へ辞令がでたので辞めたという。先輩に言わせれば、銀行員という地位を捨てる理由がへき地勤務というだけならそれだけの男なのだと切り捨てた。いくら元行員だといっても通用しないと。そのことを思い出した。深夜までの超過勤務で月末はみな青白い顔で勤務していたことを思い出す。また別の日記で書く予定だが、これも名誉(面子)に対する価値観だ。不当に貶められた名誉を回復できるチャンスを与えられたのにも関わらず私は断った。これは貶められた名誉と言う考え方が無いととられたのだろう。もう時代も大分変った。このような考え方が大多数だった若い頃とは違うので今思い出すととても古臭く感じる。でも名誉という人間の高度な欲求を満たす為に大勢が死ぬまで頑張っているのだ。墓碑に残す文句であり、死後の位牌の位であり、またそのようなものに価値を見出さない人もあり、ただわたしの回りに集まる人間はどういうわけだか前者ばかりなのだ。面子、社会的地位の優越感を得ようとする騙し合い、形ばかりのアート系とのかかわり合いなど、、、

話は戻るがこの現在に至るまであらゆる職場での不愉快さはお金を払って私に与えられた苦痛だったようだ。こちらなら1000ドル、貰って私をいじめる。毎月の銀行明細に載るものなのだから、調べればわかる。費目をいくらごまかしてもこれはもちろん違法だ。お金と口コミでいじめる。お金の力ってすごいな、といじめながらつぶやく小心である意味では善良な若者もいた。

もちろん示唆してくれる友達もいた。

大学の同級生の結婚式に出席した写真を見せてくれた。本当にハンサムなヨーロッパ勤務の男性と同じグループの友達との結婚だ。美人とは言い難い。私の友達の方がよっぽど美しいが、父親の力や家柄など、ハンサムな男性にとって利益のある条件で結婚をするんだろうな。女もある意味では顔じゃない。海外でも良く見かける。全般的に結婚後も女を醸し出す雰囲気と優雅に着飾った姿でどうにでもなると思う。話は戻るが、ある友達は父親が有力者で、その関係で紹介されたハンサムな男性について遊び人みたい、と紹介者にコメントしただけで沖縄のへき地の会社に左遷された。世の中ってそんなもんだよ。と言っていたのを思い出した。つまりは、原因をつくったわがままな女の子の肩を持っているのだよ。即座に理解したので我慢している。20年前の話だ。

今は時給11.50。ここから税金が引かれる。週40時間ではなく35時間。雇用される際には頑張れば13ドルぐらいには上がるといわれた。それ以上は出さないという事だ。ずっといてもいいといわれたが、ずっとこのままではもちろん暮らしていけない。副業にライターをしていても、修正やテーマ案作成だけで何時間も要するので好きでなければ出来ない。月に一本ペースで3000円だ。今のこれらの稼働効率の悪い仕事のスキルを磨いて新しい世界を拓く事だけを切実に望んで毎日を頑張っている。子供がいて幸いにも定年後まで働かなければならない理由が出来た身にとっては、今婆と言われても10年後も同じように仕事をするのだ。今婆といわれて辞めたら10年後の私は無いのだ。そんな事務所内の雰囲気だ。

そのほかの岐路。結婚だ。失敗だった。この先の人生においてもきっとそういうだろう。そう言わなければ私の人間性まで否定することになる。良く頑張った。独身時代には相手の職業から人を見ていたが、それで良いのだ。わざと貧乏くじを引く、などという選択こそ傲慢。仙人ではないのだから。それに私はなにも宝くじをあてて誰かを困らせた事などないのだから。勝手なゴシップに踊らされただけでこんな選択をするなどばかげている(それだけ追いつめられた)同時期にはジムで名刺をくれた自営業の男性もいたような事を思い出した。良く一緒に食事に出かけた同年代の独身のおもしろいお姉さん方がルームメイトを探していた。お友達になれそうな人も何人かいた。希望をもてそうな選択肢があったことはあったのだ。(ただ人は裏切るからなあ)

一人で悩んでばかりいないで、どこかへ相談しなければならない。出来ればアメリカ人かアメリカナイズされた日本人の方が建設的な回答をくれる事は予測できる。

家族に言えば心配される。もう皆自分の家族の事だけ考えている。

もちろん日本へ帰るわけには絶対にいかない。英語脳の子供の教育だ。

40歳になってあせってろくでもない人と結婚して一生後悔する、と予言された事がある。よく人にそんなことを断言できたなと思うが、どうやら本当になった。人相的に、横に線を引いて顔を3つに分割して、額や目のあたりの上が若いころ、鼻を含む真ん中が中年期、そして口から下が老年期となる。人相的に、老年期が充実する。などと好き勝手なことを言われた。

これも本当になってほしいものだ。

(Que sera sera)という感じに見えるのかもしれないが、いつも真剣に悩みながら生きているのだ。偶然にある日突然、(あるいはじんわりと)事態が良い方へ動き出す。その逆もある。期待するということはそれに見合った努力をしているから出来る事だ。もうこの年では夢は見ない。

夢といえば子供の事だ。子供の成長したイメージもずいぶん変わった。マイアミに居た頃は良い人達に囲まれて良く育っているという実感があった。この人達のような素晴らしい大人になれるかも知れないという期待もあった。でもこちらに来てからは人間関係が薄く、私にとっての手ごたえが少ない。子供はやる気になったらすごく伸びるものだ。子供の回りにもっとこちらから歩み寄ろう。やる気がある時と無い時、波があって当然のこと。仕事に対しても停滞期がある。そしてまたやる気を取り戻す。誰でもそうだ。子供とは根気勝負なのだろう。子供にかかわる上手な人は我慢強く、無視しない。決して子供を怒鳴ったりしない。子供は怒鳴られながら大人の限度(小ささ)を知るのだ。

子供の矯正歯科もスタートする。今は厳しい状況で、上下一対の歯がオーバーバイトといってかみ合わせが逆になり、無駄に力がはいって下の一本の歯がすでにぐらぐらしている。わずか10歳で一生の歯が抜けてしまう。一日も早く矯正しなければならない。今はこのことが最優先だ。

子供を持って良かったことは数えきれない。いろんな人と出会えた。いろんな経験が出来た。これから難しい時期に入るがお互いにこれまでの思い出の積み重ねで乗り切っていくのだ。そして大人になって私から離れる。そういうことだ。

 

 

高圧的な人

スパルタ式の高校の映画、昨日ネットで引っかかってさわりの部分だけチラっとみた。ぼくらの7日間戦争というタイトルの昔の映画だ。宮沢りえさんが可愛いのでクリックしたら、私の高校時代のような風景が広がった。校門でのチェック、私物検査、挨拶の強要、似たような個人的経験では全校集会で私語の女性徒を足蹴にする体育教師、(実際に小泉という教師が児島という女性徒を蹴るのを私が高校時代に目撃した)などなど、高校教師とはこういう事をするのか。私が通っていた高校の隣の進学高校はまたがらりと雰囲気が違い、赤のスニーカーをはいたものや山下達郎のようなヘアスタイルの男子生徒が沢山いた。こんな高圧的な指導、軍隊のようなナチスの教官のような指導方法には何か意味があるのだろうか。秩序の強制、本人の理解を待つまえに委縮させて叩き込むというスタイルだ。社会人になってもそのスタイルを保つ人間は少なくない。

私は会社で分をわきまえる、事をモットーとしている。控えめでおとなしいのは相手を尊重しているからだ。もともとの性格もそうなのでそれを選んでいる。この先の環境でもおそらくもっとリラックスしてそのようなスタイルを選択するだろう。

雇用主の配偶者がいくら買い物をしようと従業員には関係ない。また上司が決めた賞与に異議をとなえて(私に渡す時、これをやるんだから、これからもっと厳しく言う、と言った。また私の態度が悪いとも言った)独断でいじめるのも筋が違うように思う。私と子供の電話での会話を聞いて口のきき方が甘いと言った。(何を根拠に)里帰りについても言及した。(費用を出すのか)まるでその人の家なのかと錯覚するような職場だ。アメリカに来てこんな人に出会うとはお互いに(誰も)思わなかっただろう。日本にいるよりも伸びしろがあると踏んで(儲かると)渡米してくる人が多いので、個性が強いのは当然の事で(実際これまでに出会って感じの良かった人と同じ数ぐらい強い人がいた)私のような人畜無害の人間を見るといじめたくなるのだろう。そしてそれがまかり通る未熟さがある。他の人が言うようにドラマティックな意地悪さが透けて見える。気の毒だが私が人の事を気の毒がる前に自分の事を考えてやらなければならない。この問題にかかわるのは時間の無駄(性格はお互い直らない)

大人社会でのいじめ自殺も多いが、このように比喩として殴っても殴っても殴り倒しても私のようにある一定期間は応えない相手というのは気味悪いものなのかもしれない。雇用のプロセスでも問題があった。スカイプでのインタビューで他の人は非公開、私の場合には了解なく公開され(他の従業員のいるところで私は知らなかった)個人的質問に答えさせられた。

雇用主、マネージャーともにこのような良い性格とは言えない場所は米国ではおそらく普通で、それに合わせて意地悪になっていかなければならないのかもしれない。

 

 

 

 

ゴリオ爺さんは素晴らしい小説

読んだあとに内容について詳しい内容を書こうと思えば詰り過ぎ、盛り込みすぎになると思うが、読んでいて全然違和感がない。200年前のパリの社交界のドラマをモチーフに、人間の心というものを縦横無尽に切り尽して読む人の心に響かせてくれる。本は分厚いのだけど、さまざまな要素を含んているので一つ一つについては冗長な部分が全然なく、次から次へとページが進む。他の本も読みたいけど、ここは図書館も無いので日本のamazonから買うしか無いな。もっと儲けてから買おう。Bookオフという手もあるな。楽しみが増えたな。

この物語は古いのにこれまでに映画にも演劇にもなっていない。これは俳優の演技の役割よりも、言葉でかたられる物語がすべてこの本の魅力となっているからだそうだ。それほどびっしりと詰まっている。心や状態だけ箇条書きにすれば、青年の正しい野望、洗練へのあこがれと苦しみ、父の娘への愛情(質が良いか悪いかは別として与えるのみの純真な愛情)人の心の裏表、虚栄心、決闘、無心、冷笑、いじめ、家族愛、愛人、貢ぐ、手形や借金、長男の責任、結婚の重み、窮乏と見栄、欺瞞、老獪、病苦、恥辱、まぬけの役割、魅力的な悪党の考え方、自分自身の心のコントラストや葛藤、他にもいろんな要素が絡み合って、息つくひまもないほど迫ってくる。逆の教養本ともいえる。大人になる前に読むと意味が分からなかったかもしれないが、今の私にはすべてそうそう、とうなずきながら読める。これまでの人生で起こった矛盾や歯車の入れ違いに対しての答えも見えてくる。私にとっては万能薬のような小説だ。

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どんどん変わっていくようで

10年前までは首都圏で若者たちと働いていてうすうす感じていただけの事だったのだけど、最近になってその傾向がはっきりしたなあ。大和魂、それもわりに偏狭な国粋主義の感覚が、私が若者だったころには全くなかった。いつの時代も若者だった自分と比べて今の若者は、というものだが、10年前の私にとっての今の若者は、そこが違うと思った。

ニュースでいろんな傾向性を見て、ちょっとこれは‥と感じる事が一体どこへ向かおうとしているのか、薄気味悪いなあと思う。

ただわかるのは曲がり角だな、曲がってしまうんだろうな、という事だけ。

 

 

何とさわやかな夕暮れ

 

十何年かぶりにジャズコンサートへ行った。先週今週とフリーで良い音楽が聴けてラッキーな2015年の夏だった。子供が大きくなったのでいろんな音楽を経験させたいという名目で無理やり連れて行ったが、エレクトロとハウスが好き、という子供の耳に届いただろうか。別に良い席を取る為ではないのだけど、左端の上の方に場所を据えて4時半から4時間半、そのうち待ち状態は2時間半だった。前座は7時から、8時からが今日のカルテット。私はずっと聴いていたかったが9時になって子供が飽きたので帰った。変拍子には興味を持って、9/8ビートをしばらく聞いていたが理解したら帰ると言いだした。またチャンスがあれば行こう。かっこいいね。子供も言っていた。

最近クラシックピアノの練習にも飽きてきたらしい(男の子だから当たり前だと私は思うが)が、無理やりそれこそ耳を引っ張るようにして(実際にはしません)連れて行って先生は好き♡と言っているような子だ。そして生まれて初めて聴く美しい曲には本当に感動する。

子供がパッヘルベルのカノンに感動する、その純粋さに私もひんまがった心がまっすぐになる。お金が勿体ないとおもうが本人の肥しになる事を願う。

音楽が心に届く時期というものがある。ジャズは大人の音楽だ。諦めの要素のようなものがある人の心に入っていくところがあるようにわたしは思う。なので好きなのだが。

男の子が大曲をダイナミックに弾くのが醍醐味だと私は個人的に思う。ただの個人的な願望です。押し付けません。

産まれた時、指が長い子で本当に喜んだのだが、(母親もコップを持っている指が蜘蛛のようだと表現した)残念だ。

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