Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

良い思い出となります

そっち系の質問 - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

渋谷で働いていた時電算3課の人は巨人ファンばかりで、ロッカーにメガホンを隠し持って時々球場へ応援に行きました。球場までのタクシーで普段はおとなしい庶務のYさん(馬込出身)が運転手と巨人の話をして盛り上がっていたり、球場で課長の隣に座って説明を聴いたりした事を思い出します。ホーナーがヤクルトに来た頃ですね。見ました見ました。記憶にありました。それが後楽園か神宮かは忘れました。中日ドラゴンズの星野仙一がカリスマ的な存在だったのは覚えています。野球ファン、私の回りにも多かったようです。

中畑の家ではヤクルトを取っている、と問題にしている先輩がいました。家が近所で見たらしいのです。その先輩は応援歌の小さい本もバッグに入れていました。私はただぼうっとついていっただけですが、多摩川のグラウンドまで練習を見に行くというお誘いはお断りした記憶があります。Oさん、Kさん、良いお付き合いをしていただいてありがとうございます。本当に良い方たちばかりでした。若い頃にあのような良い人たちの中で過ごす事が出来て本当に良かったと思います。

帰りの電車は大変混雑して、翌日も仕事なのに若いってすばらしいなと思いました。他には毎週茶道を習いに日比谷まで出かけて9時ごろ地下鉄のホームから郊外の家まで戻っていました。隣の教室では詩吟クラブがあって唸り声が漏れ聞こえてきました。茶道教室は、先生のお話が好きでした。季節の変わり目の出来事です。決して教訓的であってはならないのです。茶人はそれを粋とするようです。他には渋谷のベターホームでお料理教室に通いました。会社のビルの裏側にある喫茶店のシナモントーストが美味しいのでよく食べに行きました。トーストにホイップクリーム、シナモンシュガーというシンプルなものですが本当に美味しかったです。あの頃はよく食事に行きました。東邦生命ビルの一階にあったレストランのカルボナーラがとても美味しく、良く帰りに食べました。Sさん、ありがとうございました。カプリチョーザは本店しかまだ無かった頃、会社の帰りに歩いて立ち寄ると行列が出来ていましたね。サラダとスパゲティ一皿を3人位で分けて、シェービングクリームが乗ったようなケーキをデザートに頼むのがお腹に合わせた頼み方でした。高級な料理は行きませんでしたが、富士フイルムのビルにあるフランス料理店に4人で食事に行った事は覚えています。美味しかったですね。ありがとうございます。ありついたら、という言い方は卑しいのですが、チャンスがあれば参加していましたが、特に求めてという事はありませんでした。そういうお金はすべて音楽(コンサート)に消えていました。若くてお腹を空かせていたので、会社のカフェテリアのケーキでも美味しかったです。11階のアップルパイ、美味しかったですよね。ふふふ

他には道玄坂下の映画館の隣にあった地下に下りるスパゲティ屋さんに立ち寄ると必ず同じフロアの誰かと遭遇しました。代官山まで足を延ばせば誰にも会いませんでした。Kさんに連れていってもらいました。ご主人は営団地下鉄でしたが、お元気でしょうか。桑田バンドのコンサート楽しかったですね。

井の頭線ガード下の赤提灯は渋谷のサラリーマン御用達で、ホッピーや太宰治の小説に出る電気ブランも飲めました。新橋ほどではなく、程よく若い人にも門戸を開いている雰囲気が好きでした。

ところで、銀座に本社があったその会社は出版業のデータも請け負っていたようで、作家と本の名前をフォームに記入する作業を手伝った時に”あんたは沢山本を読んでるねえ”と誉められたのを覚えています。そうだな、しょっちゅう書店で棚とにらめっこしていました。本はお小遣いをはたいて買って読んで育ったのでそうかもしれませんね。その会社で社会保険労務士の資格をとるといって休憩時間にも本を開いていた人は今は講演などをされているようです。独身の人が多かったのですがさばさばしてうっとうしい中年にはまったく遭遇しませんでした。

音楽教室からですかね。これも試練です。