印象的だった石灯籠

この前久しぶりに帰省してあらためて思い至った事。

思い出の写真を携帯に収めて眺めていると小さい頃の思い出が断片的に思い出される。

祖父は今で言うアート好きだったようだ。普通の日本家屋だったが、廊下で目にした武者小路実篤の野菜の絵の色紙、ドガの踊り子、飾り物のひょうたん、居間に掛けていた落款のある大きな書、床の間の布袋さんの置物、掛け軸、庭のひょうたん池などに混じって印象的だったのが石灯籠だ。味わいのあるかわいい、そしてユーモラスな石灯籠だった。あのような石灯籠にお目にかかった事はあれ以来ない。物心ついたころから十何年間何気に目にしていたが今となって大変印象に残っている。

自身もバイオリンを弾く。私にも琴を習えと言っていたが結局ピアノを習った。祖父が若い頃に流行したドナウ河のさざなみをピアノで弾いたら庭を眺めながらじっと聴いていたが、よくつまるのがつまらん、とだ洒落のようなことを真面目に言っていた。祖父が来ると知っていればもっと練習をしておけば良かった。ピアノ曲集を適当にぱらぱらとめくってリクエストされたのだから。アイルランド民謡の庭の千草などをバイオリンで弾いていた。石川県でそのまま暮らしていればさぞや風流な暮らしをしていただろうと思われる。

分家のまたその核家族という文化も伝統も何も受け継いでいない家で育った私だからか、そういったものが貴重に感じられるのかも知れない。

写真:生まれたばかりの私とステテコ姿の爺さん@庭にて 1964.7

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 この昭和の子供(兄)の後ろにある池のさらに後方にあるのがその石灯籠。

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 ちゃんと写ったものは見当たらないがてっぺんに丸い石が乗ったものがそうだ。