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高圧的な人

スパルタ式の高校の映画、昨日ネットで引っかかってさわりの部分だけチラっとみた。ぼくらの7日間戦争というタイトルの昔の映画だ。宮沢りえさんが可愛いのでクリックしたら、私の高校時代のような風景が広がった。校門でのチェック、私物検査、挨拶の強要、似たような個人的経験では全校集会で私語の女性徒を足蹴にする体育教師、(実際に小泉という教師が児島という女性徒を蹴るのを私が高校時代に目撃した)などなど、高校教師とはこういう事をするのか。私が通っていた高校の隣の進学高校はまたがらりと雰囲気が違い、赤のスニーカーをはいたものや山下達郎のようなヘアスタイルの男子生徒が沢山いた。こんな高圧的な指導、軍隊のようなナチスの教官のような指導方法には何か意味があるのだろうか。秩序の強制、本人の理解を待つまえに委縮させて叩き込むというスタイルだ。社会人になってもそのスタイルを保つ人間は少なくない。

私は会社で分をわきまえる、事をモットーとしている。控えめでおとなしいのは相手を尊重しているからだ。もともとの性格もそうなのでそれを選んでいる。この先の環境でもおそらくもっとリラックスしてそのようなスタイルを選択するだろう。

雇用主の配偶者がいくら買い物をしようと従業員には関係ない。また上司が決めた賞与に異議をとなえて(私に渡す時、これをやるんだから、これからもっと厳しく言う、と言った。また私の態度が悪いとも言った)独断でいじめるのも筋が違うように思う。私と子供の電話での会話を聞いて口のきき方が甘いと言った。(何を根拠に)里帰りについても言及した。(費用を出すのか)まるでその人の家なのかと錯覚するような職場だ。アメリカに来てこんな人に出会うとはお互いに(誰も)思わなかっただろう。日本にいるよりも伸びしろがあると踏んで(儲かると)渡米してくる人が多いので、個性が強いのは当然の事で(実際これまでに出会って感じの良かった人と同じ数ぐらい強い人がいた)私のような人畜無害の人間を見るといじめたくなるのだろう。そしてそれがまかり通る未熟さがある。他の人が言うようにドラマティックな意地悪さが透けて見える。気の毒だが私が人の事を気の毒がる前に自分の事を考えてやらなければならない。この問題にかかわるのは時間の無駄(性格はお互い直らない)

大人社会でのいじめ自殺も多いが、このように比喩として殴っても殴っても殴り倒しても私のようにある一定期間は応えない相手というのは気味悪いものなのかもしれない。雇用のプロセスでも問題があった。スカイプでのインタビューで他の人は非公開、私の場合には了解なく公開され(他の従業員のいるところで私は知らなかった)個人的質問に答えさせられた。

雇用主、マネージャーともにこのような良い性格とは言えない場所は米国ではおそらく普通で、それに合わせて意地悪になっていかなければならないのかもしれない。