人生の岐路のいくつか

沢山ある。インテリアコーディネーターの資格を取って、東急アメニックス(東急電鉄系列)に採用された。(3次面接まであった)勤務する前に辞退してしまった。当時働いていたTMJは若い人ばかりのコールセンターで、全く関係ない雑談だったら自分でも不愉快には感じず、そういうことは勘でわかるが、そうではなかった。理由がつけられない不愉快さで、私のことではないと思いたいが、きこえよがしによく笑われたりわざと意味のある嫌味な単語を耳に入れていた。そこで私が内定している事は誰にも言ってないんだけど、もちろん過去に面識もない彼らから、彼らの背後のある人物の指令を受けて、冷笑されているのがわかった。そんなことが第六感に影響したのと、勤務先が八王子駅からバスで30分ぐらいの山中のぽつんと建っている営業所だった。残業あり、水曜定休、月給20万。今思えばなぜ辞退したのだろうと思うが、これがこの先の人生で好転するように頑張りたい。昔銀行の子会社で都銀の事務センターに勤務していたころ、仲良くしていた行員が友人の元同僚の行員、今は引越業を起業している男性を紹介された。都内勤務だったのに千葉のへき地へ辞令がでたので辞めたという。先輩に言わせれば、銀行員という地位を捨てる理由がへき地勤務というだけならそれだけの男なのだと切り捨てた。いくら元行員だといっても通用しないと。そのことを思い出した。深夜までの超過勤務で月末はみな青白い顔で勤務していたことを思い出す。また別の日記で書く予定だが、これも名誉(面子)に対する価値観だ。不当に貶められた名誉を回復できるチャンスを与えられたのにも関わらず私は断った。これは貶められた名誉と言う考え方が無いととられたのだろう。もう時代も大分変った。このような考え方が大多数だった若い頃とは違うので今思い出すととても古臭く感じる。でも名誉という人間の高度な欲求を満たす為に大勢が死ぬまで頑張っているのだ。墓碑に残す文句であり、死後の位牌の位であり、またそのようなものに価値を見出さない人もあり、ただわたしの回りに集まる人間はどういうわけだか前者ばかりなのだ。面子、社会的地位の優越感を得ようとする騙し合い、形ばかりのアート系とのかかわり合いなど、、、

話は戻るがこの現在に至るまであらゆる職場での不愉快さはお金を払って私に与えられた苦痛だったようだ。こちらなら1000ドル、貰って私をいじめる。毎月の銀行明細に載るものなのだから、調べればわかる。費目をいくらごまかしてもこれはもちろん違法だ。お金と口コミでいじめる。お金の力ってすごいな、といじめながらつぶやく小心である意味では善良な若者もいた。

もちろん示唆してくれる友達もいた。

大学の同級生の結婚式に出席した写真を見せてくれた。本当にハンサムなヨーロッパ勤務の男性と同じグループの友達との結婚だ。美人とは言い難い。私の友達の方がよっぽど美しいが、父親の力や家柄など、ハンサムな男性にとって利益のある条件で結婚をするんだろうな。女もある意味では顔じゃない。海外でも良く見かける。全般的に結婚後も女を醸し出す雰囲気と優雅に着飾った姿でどうにでもなると思う。話は戻るが、ある友達は父親が有力者で、その関係で紹介されたハンサムな男性について遊び人みたい、と紹介者にコメントしただけで沖縄のへき地の会社に左遷された。世の中ってそんなもんだよ。と言っていたのを思い出した。つまりは、原因をつくったわがままな女の子の肩を持っているのだよ。即座に理解したので我慢している。20年前の話だ。

今は時給11.50。ここから税金が引かれる。週40時間ではなく35時間。雇用される際には頑張れば13ドルぐらいには上がるといわれた。それ以上は出さないという事だ。ずっといてもいいといわれたが、ずっとこのままではもちろん暮らしていけない。副業にライターをしていても、修正やテーマ案作成だけで何時間も要するので好きでなければ出来ない。月に一本ペースで3000円だ。今のこれらの稼働効率の悪い仕事のスキルを磨いて新しい世界を拓く事だけを切実に望んで毎日を頑張っている。子供がいて幸いにも定年後まで働かなければならない理由が出来た身にとっては、今婆と言われても10年後も同じように仕事をするのだ。今婆といわれて辞めたら10年後の私は無いのだ。そんな事務所内の雰囲気だ。

そのほかの岐路。結婚だ。失敗だった。この先の人生においてもきっとそういうだろう。そう言わなければ私の人間性まで否定することになる。良く頑張った。独身時代には相手の職業から人を見ていたが、それで良いのだ。わざと貧乏くじを引く、などという選択こそ傲慢。仙人ではないのだから。それに私はなにも宝くじをあてて誰かを困らせた事などないのだから。勝手なゴシップに踊らされただけでこんな選択をするなどばかげている(それだけ追いつめられた)同時期にはジムで名刺をくれた自営業の男性もいたような事を思い出した。良く一緒に食事に出かけた同年代の独身のおもしろいお姉さん方がルームメイトを探していた。お友達になれそうな人も何人かいた。希望をもてそうな選択肢があったことはあったのだ。(ただ人は裏切るからなあ)

一人で悩んでばかりいないで、どこかへ相談しなければならない。出来ればアメリカ人かアメリカナイズされた日本人の方が建設的な回答をくれる事は予測できる。

家族に言えば心配される。もう皆自分の家族の事だけ考えている。

もちろん日本へ帰るわけには絶対にいかない。英語脳の子供の教育だ。

40歳になってあせってろくでもない人と結婚して一生後悔する、と予言された事がある。よく人にそんなことを断言できたなと思うが、どうやら本当になった。人相的に、横に線を引いて顔を3つに分割して、額や目のあたりの上が若いころ、鼻を含む真ん中が中年期、そして口から下が老年期となる。人相的に、老年期が充実する。などと好き勝手なことを言われた。

これも本当になってほしいものだ。

(Que sera sera)という感じに見えるのかもしれないが、いつも真剣に悩みながら生きているのだ。偶然にある日突然、(あるいはじんわりと)事態が良い方へ動き出す。その逆もある。期待するということはそれに見合った努力をしているから出来る事だ。もうこの年では夢は見ない。

夢といえば子供の事だ。子供の成長したイメージもずいぶん変わった。マイアミに居た頃は良い人達に囲まれて良く育っているという実感があった。この人達のような素晴らしい大人になれるかも知れないという期待もあった。でもこちらに来てからは人間関係が薄く、私にとっての手ごたえが少ない。子供はやる気になったらすごく伸びるものだ。子供の回りにもっとこちらから歩み寄ろう。やる気がある時と無い時、波があって当然のこと。仕事に対しても停滞期がある。そしてまたやる気を取り戻す。誰でもそうだ。子供とは根気勝負なのだろう。子供にかかわる上手な人は我慢強く、無視しない。決して子供を怒鳴ったりしない。子供は怒鳴られながら大人の限度(小ささ)を知るのだ。

子供の矯正歯科もスタートする。今は厳しい状況で、上下一対の歯がオーバーバイトといってかみ合わせが逆になり、無駄に力がはいって下の一本の歯がすでにぐらぐらしている。わずか10歳で一生の歯が抜けてしまう。一日も早く矯正しなければならない。今はこのことが最優先だ。

子供を持って良かったことは数えきれない。いろんな人と出会えた。いろんな経験が出来た。これから難しい時期に入るがお互いにこれまでの思い出の積み重ねで乗り切っていくのだ。そして大人になって私から離れる。そういうことだ。