女子大での授業に悩んでます - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

ああ、もっと勉強したかった。

世の中はまったく理不尽ですね。

若いころは好きな道へ進めず仕方なく進んだ分野が全く向いておらず、勉強が嫌いに、社会に出てやはり勉強の必要性を感じこつこつと休日に図書館で興味のある分野を乱読、時間がきて結婚、ぎりぎりの年齢での出産を経て生活の為に仕事を得る手段として学校へ戻る。皮肉なことにお尻に火がついた状態だったため、子供の世話が無い昼間、午前9時から午後4時までを集中的に勉強の時間に充てていました。最初は若いころの延長の気分で、夜中にでも時間があるからやろうと甘く考えていたら体力がついていかずすぐに罹患(気管支炎)、以来夜は早く寝る事にしています。

レートマイプロフェッサーというサイトがあるのですが、私が良い先生だと思った人は厳しかった(課題も多く点数も厳しい)ので、一般的な学生からの評価はとても悪く、一部の生徒からは褒め称えられていました。言われた事をすべてやる事が自分の為になるのだと。私も表面的には何も言わなかったし個人的に会話は無かったのですが、実はわりと好きで良い先生だと思っていました。(先生もいつも私に当ててくれて発言していました)。良いレビューを残そうかとも思いましたがやめておきました。授業のたびに学生用のメールアドレスにアンケートが来るのでそこで答えていましたしね。

日本でも国語の先生と私とは信頼関係があったなあ。兄が5学年離れており、学期の初日に新しい教科書を持ち帰ると部屋でこっそり国語の本はすべて読んでいました。国語は本当に好きでした。高校時代はテストの時期も忘れて、テスト勉強もせず、テストをしてもいつも国語だけ高得点で一緒に馬鹿を言っているクラスメートの心が離れて行き、寂しかったです。国語ってそういう科目なんだなと思いました。

英語の授業でも文学だったので興味深かったです。日本でも外国文学の翻訳を読んでたのが肥しとなったのでしょう。若い頃順調に進んでこんな好きな勉強ができたら本当に良かったのになあと思います。好きな事を考えて良い点が貰えて人から尊敬されるなんて私が進んできた道から見れば夢のようですね。(嫌なことを考え、理解しなければならない。それが仕事。それが得意な人は他に山ほどいるのに。)しかし、最近金銭の出し入れで左右のバランスが頭に浮かぶようになってしまいました。

ビジネスの授業で隣にすわっていたとてもよく切れる若者が、(ノートの取り方も素晴らしい)、アカウンティングの説明の時には机につっぷして寝ていたのが印象的でした。

専攻は何?アカウンティングです。というと何だか低く見られましたね。もっと面白い学問があるだろうに。というニュアンスで。でも切羽詰っていたので面白い事などにお金を払って学んでも(例えば音楽)子供を食べさせていけないし。と心の中で思っていました。実務的な勉強でもマイクロソフトアクセスは私はとても良く出来たようで”ジーニアス!”とクラスメートに言われました。なんなん?

そういえば、プレイスメントテストで数学は90点をとって、どのクラスが受けられるというリストに幾何学の先生コースも含まれていた。50問あるのでまぐれは通用しない。これはこれしかないでしょ、と選んでいったので5個も間違えたのがちょっと悔しいかも。悔しいとまでは思わない、よくやったぞ、か。

でも基本的に数字の数学が弱い。おっちょこちょいであとで見直すとなんでここでこうしたのか、わかっているのに、というような間違いを犯す。

祖父が同志社、叔父も同志社の理学部以外は殆ど文系の家系で、国立大学へ行ったのは大阪外大へいった子だけです。あとは明治、明治学院、広島工大、松山商大、愛知学院、東京電機大学、などなど一般の学生くん、卒業したら社内政治に通暁してカツオくんのように頑張るしかないといった感じです。父は電気の国家資格持ってるエンジニアなのでそんな感じの理屈の頭の働きは受け継いでいるのかも知れない。

分かりません。言いたいのは本来の私は真面目で、普通の学校を普通に出て普通の人生を送る普通の人(範囲広いけど)だと思います。

私が得た教訓。

好きな事を夢中でやっていれば仕事になるんです。プロになれるんです。子供にはそう教えよう。