同僚との付き合いで擦り減る

渋谷・原宿が好きになれません - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

渋谷といっても109側とパンテオンを抜けて青山側とでは全然違いますよね。

会社が宮益坂だったので109の方は用が無ければ行きたく無かったです。

109の地下でたけし軍団の大森うたえもんさんがお腹の大きい奥さんと靴を買っていらっしゃいました。

渋谷時代(と言わせていただきますね、)はほとんどアフターファイブは同じチームの人と行動を共にしていましたが、その人に”美術やっている人って変わっていますよね?”とか”Mさん(私の事)は優しいですよね?”と自分の感想を唐突に話してくれた事があります。今思えば彼女も悪口電話に巻き込まれたんでしょうね。私と合わない場合最悪の結果になって、心配したSさんがAちゃんが私の悪口を言いたい放題いっているようだから、たまに連絡とった方がいいよと教えてくれました。そうか、と思ってもなんとなくそのまま放置です。彼氏と一緒に人格否定までされましたからね、面と向かって。あきっぽいだけなんじゃないか、えらそうにいうけど。とか。ひどいですね。高校時代同じクラスのYくんもAと同じNTTの社員になりましたが、謙虚で可愛い子で割といい友達でした。Yくんも同窓会などで、自分の出世の理不尽さを面白おかしく嘆いているようです。私もAちゃんは嫌いです。ごめんね。っていうか好きでも嫌いでもない、この方がダメ?好いてくれる人沢山いますじゃん。(同じ語調)実は私はKさんやその彼氏、2人のKさん、そしてOさんとウマが合い、時々あなた方を抜かして逢っていました。それでいいのです。

私が辞めたあと、入ったIさんを毛嫌いして口も利かず、同じ課のSさんが心配してIさんに声かけしていたらそれさえも腹がたつ、みんなで無視すればいいのにSさんの言動が癪に障る、と愚痴ってきました。同時に私と仲の良かったYさんもAちゃんの好き嫌いの激しさが目に余るといって相談してきました。串コルザという串専門店に課の人に連れて行ってもらった時も好き嫌いが激しく、食べられないものが多かったので先輩が課の人に気を遣って、もうこの子は連れてきません、すみませんと頭を下げていました。同じ課の遠くの島で座っている男性は種子島の宇宙開発事業団からの天下りで、一日中腕組みをして座っていたのがAちゃんにはとても目障りだったらしく、悪口ばかり言っていました。勝手にドラキュラとあだ名をつけて(目の下が青かった)どらが仕事しない、どらが、としょっちゅう言うのです。見かねた先輩がAちゃんに、あの人があんたに何かしたか?と言って気付かせようとしましたが、ダメでした。そういう子でしたね。電車の中での若者の会話にもありますので、あんまり気にしていません。好き嫌いの激しすぎる珍しい性分なのでしょう。

本当に良い方ばかりでした。信濃町に木造の立派な自宅があるなんて信じられないような人がたくさん存在するので、昔の小説の世界だ、などと(すみません)思った位です。

ただ、同僚が居酒屋でバイトしたりレンタルビデオ店でバイトして(私はしなかった)そこで知り合った人達と飲みに行ったりした時に、あまりにも真面目な日常に嫌気がさして、池袋で朝まで居酒屋の梯子をした事があります。あんまり覚えていないけどね。楽しかったか?ううん、よくわかりません。

いろいろ行動しましたがすべてわり勘でした。奢った事もないかな。Sさんの三茶のアパートに訪問した時、出前を取ってくれて(500円)もてなしてくれました。本当にありがとうございます。お返しは何かでしたはずです。

レッドロブスター、こちらではあまり美味しくないファミレスという感じです。デニーズも言った事ないですが、行きたくはない雰囲気です。

今思えば、故郷にはろくな友達が居なかったな。本当に離れて良かった。縁の切り方が甘いので、こうなったのです。皆それぞれに、似たような成長の段階を経ています。どれだけ苦しんでもわかってくれないというのは仕方がない事です。

本来私とは考え方も違うのだけど同じはずだ、と決めつけて想像するから自分達の考えだけが広まっていかに意地悪か、だけが宣伝されているみたいですね。

原宿はあまり行きませんでした。銀座や青山が好きだったので大人の雰囲気が好きだったみたいです。

原宿から渋谷まで歩く事は良くありました。何をしていたのかはあまり詳しく覚えていませんが、思い出すきっかけがあれば何か答えが出るでしょう。

どのように人生を送りたいのか、これでいいのか、本当に自問ばかりしていました。本を沢山読んでいたようですね。